NOOS LECTURE 2009 DVD Resale 06

PD0076
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商品番号:PD0076

NOOS LECTURE 2009 DVD Resale 06

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※本DVDは2009年から2010年にかけて発売された「NOOS LECTURE 2009 DVD」のVol.11とVol.12を再録した復刻版DVDとなります。

06 : 永遠を歩く「わたし」と「あなた」

DISC1 / 大系観察子の世界
DISC2 / 13,000年のタイムラグ

ニーチェは19世紀の終わりに「神は死んだ」と言った。しかし、ほんとうに神は死んだのか?世界を見渡せば未だに神を信仰する人間たちはゴマンといるし、宗教的信条の違いから戦争も繰り返されている。宗教を信じない人たちももちろんたくさんいるが、彼らは人間理性というデカルト的神を未だに信奉している。ニーチェが告発したのはこうした超越者たちだった。たとえ宗教的な神を殺したとしても、神を殺した者がまた新たな神に成り代わる。そうやって科学の神が登場してきたわけだし、民主主義教にしても資本主義教にしてもその背後には自由の神や貨幣の神といった何らかの超越者が睨みを利かせている。
この超越者の正体をニーチェは見抜いていた。それは「否定の神」である。汝、〜するなかれ。おまえは間違っている。だから、わたしは正しい。否定の神の情念が最も燃え盛るのは自分が否定されたときだ。そのとき否定の神は復讐の炎を舞い上らせる。自分を否定するものに対してはより協力な否定によって返り討ちにしたいのだから、否定の神同士が同盟を結ぶのはまず難しい。人間という体制が常に無数の諍いごとで溢れ返っているのも、すべてはこの否定の神のなせる業なのだろう。
人間に巣食っているこのような神。それは何と言っても自我である。あなたはわたしではない、という否定の精神がわたしを保証する。この自我の同一性をディオニソス的な酩酊の神、もしくは純粋無垢の幼児への回帰によって破壊すること。それがニーチェのもくろみだったのだ。そして、それは永遠回帰の到来によって実現化される——。
ニーチェは何を言いたかったのだろうか。このレクチャーではヌーソロジーを通してニーチェの思想のバックステージをあぶり出してみた。

disc.1&2の資料はこちらから


DISC3/カバラにおける創造原理
DISC4/生命の樹と大系観察子の対応
DISC5/永遠の汝と永遠の我

神秘主義にいろいろあれど、カバラほど体系的に洗練化されたものはない。カバラで用いられる生命の樹——その極端にデフォルメされた図像は同じ宇宙構造を描いたものであっても東洋の曼荼羅とは根本的に異なっている。生命の樹は象徴というよりも一切の贅肉を削ぎ落としたところに見えてくる宇宙全体の構造図なのだ。そのためかカバラは数ある神秘思想の中でも最もヌーソロジーに近しい内容を持っている。しかし、二点ほど大きな違いがある。
宗教的超越性においては神であれ、仏であれ、何らかの一者が存在の頂点に立つ。カバラが用いる生命の樹においても、その最上位には光輝に満ちたケテルというセフィロトの中に至高の三角形と呼ばれる神ヤハウエの住処がある。しかし、ヌーソロジーは最も上位のものは最も下位のものと接続するという鉄則があるので、その全体構造は円環になる。存在の構造を階層性で考えるか円環性で考えるか。この違いはとても大きい。
もう一つの決定的な違いはカバラには他者という絶対的外部に対して積極的な言及がないという点である。カバラの根本理念もまた対立物の一致にあるのだが、その中で自己VS他者という対立がどのように一致を見、またどのようなプロセスで分化するのかが今ひとつ明確じゃない。
ヌーソロジーにおいては自己と他者は文字通り「永遠の我と汝」的な存在であり、この両者が完全に統合されることは決してない。というのも、ヌーソロジーでは神自体が元から双子であり、この双子の双数的関係によってすべての生成変化が展開していくと考えるからだ。このレクチャーでは今回のレクチャーシリーズの総まとめとして、カバラにおける生命の樹の双子化を試みた。

disc.3&4の資料はこちらから


収録年:2010年 |再生時間:7h59min. | 画面サイズ:4:3